10年の黒

わたしは昔から黒い服しか着ない。これは自分の中の掟のようなもので、例えば誰かに黒以外の服を借りると自分が思う自分の存在感が普通より大きいような気がして、いつもと違う(服の色によって強調された)自分の存在に落ち着きがなくなる。それとクローゼットの中が一色で統一されているのもとても気分が良いので他の色を入れたいと思わないのだ。

黒い服を着るようになったのは約10年前、当時付き合っていた年上の元恋人の影響が最初だったと思う。ちなみに元恋人は黒以外もよく身につけていたのでその人のせいかと思うと微妙なところだけど…。その人は結構ひどい人で関係のあった頃よく泣いたり不安な気持ちになっていた。今もあまり良い思い出はない。もうそんな昔のことなのですっかり恨みや未練はないのだけど、自分が黒い服を着るのはなんだか呪いのようになってしまっている。

でもそれとは反して可愛らしいものやぬいぐるみなどもとても好き。一時期ロリィタを着ていた時期もあった。今でも繊細な刺繍入りのキャミソールやアンティークのフリルワンピースなどを見ると胸が高まる。やっぱり自分の性自認が女とは言い難いからそういうのを身につけてるのが恥ずかしいと思ってしまう。身体の性は女だし着ることに抵抗があるのは少し変かもしれないけど、”可愛い=か弱い”みたいな固定概念があることをしっかり自覚している。

 

適切に乞うこと

全然書いてなかった。

先週末はフェスティバルと同時開催していたグループ展に参加した。学外の展示に参加するのは初めて。ちなみに今年で3回目の展示。4月で3回目なのはなかなか良いペースだと思った。もちろん数が多ければ多いほど良いってものでもないけど、経験があんまり無い自分にとっては絶対良いはず。

展示に参加した人たちはほとんど作品の種類が違っていて、わざわざ被らないようにしたのかと思うくらいだった。水彩、ペン画、版画、銅像、彫刻、服、インスタレーション、ビデオ、グラフィック、アニメーション(自分)。これくらいかな?参加者は10人くらい居た。

設営から展示、搬出までスムーズにことが運んだ。自分が助けられる側になることが多くその度ありがたかった。

 

昔から自分は人が時間を割いて助けてくれることに罪悪感があり、それはずっと変わらない。先生とかそういう助ける立場にある人に対してはあまり思わなくなったけど、人の時間を自分に使わせるのが申し訳ないという気持ちになる。(だから何かへ人を誘うことに抵抗があるんだと思う。その人が好きそうな情報があればそれを伝えたりは普通にする。)

いつも何か手伝って欲しい時に声をかけるのを躊躇ってしまい結局間に合うか間に合わないかの辺りでいっぱいいっぱいになり泣きそうになりながら手伝ってほしいと訴えるみたいになってしまう。その方がかなり迷惑だなと思う。

そして手が空いてる時は罪滅ぼしのように誰かの手伝いをしようととりあえず声をかけてみるけど特に無かったりして(ただそこら辺を彷徨い邪魔になるか隅でおとなしくじっとし空中を見つめるかの二択…)。

それを何度も繰り返してようやく気づいたのは、みんな必要な時に手伝って欲しいとちゃんと言ってること。そして周りは当たり前に手伝う。見た目で大変そうな時声かけてくれる人もたまにいるけど、その前に本人が手伝って欲しいという意思を示している印象。もしかしたら世間一般的には当たり前なことかもしれないけどようやくそれが分かって衝撃だった。

そして誰かに手伝ってほしい時お願いできないのは、逆を言えば察してもらうことを待ってるのかもしれないと今これを書きながら気付いて怖くなった。今まで"誰かやその場の雰囲気を察する"という文化が苦手だったにもかかわらず、自分はまさにそれを自分以外の人に望んでいたのかもしれないなと思ったから。でもこれに今気付けて良かったとも思う。何年も後に気付いていたら(もしくは一生気付かなかったら)苦労するだろうな。もちろん気付いただけでは変わらないのでこれから困った時は迅速に誰かへ助けを求めたい。

部屋

今月初め、新しい部屋へ引っ越した。アパートの最上階(といってもそんなに高くない)、屋根裏部屋。今までルームシェア暮らしで少し窮屈していたわたしにはうってつけのワンルームだった。

ルームシェアで何度か暮らしてきたけれど、毎回同居人との関わり方に悩んでしまう。天気のいい日、部屋に一日中居ると気にしてくる。ご飯に誘われる。放っておいて欲しかった。具合が悪い訳でも悲しい訳でもない。それら抜きでも人が部屋にこもっていることなんて珍しいことではないし、食事は自分のタイミングで摂りたいものだけを摂りたい。ルームシェアは家賃を折半することよりもコミュニケーションを目的として希望する人が多いことにようやく気づいた。

楽しく過ごしている人達も居るしそれを否定するつもりはないけど、自分にはあまり合わないかなと思う。

 

一番最初に住んだ部屋の家主はヒステリックな潔癖おばさんで本当にしんどかった。笑ってるか怒っているかその日の感情でぶつかってくるので適切な反応が瞬時に出来ず、ますます怒鳴られる。トイレ掃除はこれくらい綺麗にするの!!と怒鳴りながら便座を上げた部分に何度もキスしているのを目の当たりにした時は唖然とした。その息子は反抗期だったので、ほぼ毎日親子喧嘩の声と物に当たる音が隣の部屋から聞こえる。頼りにしていた別な同居人はすぐ引っ越してしまい、新しく入ってきた同居人は会ったその日に迫ってきて気持ち悪かった。友達がほぼ居なかった時期だったので誰にも相談できず、これがカルチャーショックか…くらいに思っていた。毎日ビクビクしながら住みつつやっと引っ越しを決め4ヶ月後、温厚な同居人と住むことができた。彼は日本語を勉強していて毎期アニメをチェックするくらいのオタクだった。たまに一緒にアニメを見たりすることもあったし、その時まどマギを教えてもらったことには感謝している。物腰柔らかく親しみやすかった反面かなりのエリートだったので、わたしが部屋でだらけているのが申し訳なくなったり邪魔に思ってるのではという自己嫌悪によく陥った。1年ほど住んだが一時帰国のタイミングで部屋を解約した。

その後住んだのはかなりイケイケな地区だった。お洒落なバーやカフェ、雑貨屋さんが立ち並び休日でも全く退屈せず住むことができた。だが元々半年の期限付きだった為知り合いを通じてまた違う部屋を見つけることとなる。

そこはかなりボロく天井にヒビが入っていたし、窓も少し割れていた。家主は隣国の人で、たまにストリートライブをしにくる際泊まるのだが半年で1回しか来ず実質一人暮らしと変わらず快適に過ごした。家賃も安く、同じマンションに住むカメラマンの友人ができたりと悪くない場所だった。

大学入学を機に別の街に引っ越し、最初の2ヶ月はairbnbの部屋を借りていた。そこの家主はとても優しくて程よい距離感で接してくれる(現在形)。そして今新しく住んでいる部屋もその人が知り合いから引き継いでくれた。家具も一式新調しいよいよ自分の暮らしが始まるなという思い。

 

ベッドを天窓の真下に置き、寝転がっていると雨が降ってきた。雨音が心地良く聞こえる。寝る前に点けるランプはまだ持っていなかったけれど、雲が薄明るいので全くの暗闇ではない。いつも色々な(でも何も結論の出ない)ことについて考える。周りに恵まれているなと純粋に思う。

 

天使の香り

最近手に入れたハンドクリームは天使の絵が描いてあってかわいい

バニラの香りらしいが実際は甘さはそこまでなく、石鹸のような香りに近かった

 

小学生の頃読んでいた漫画雑誌

いつだかの付録が天使のシールで、天使の香り付き!というものだった

天使の香りが本当にする訳ないんだけど、結構好きな香りだったので自分も身につけたいと思ってた気がする

 

今使っている香水は前に住んでいた街で見つけたやつ 飽きっぽいし使うの忘れやすいけどこれだけは買ってからずっと使っていてもうすぐで一瓶使い切りそう

新しい香りを見つけたい気もしている

P

 

昨日はプレゼンがあった

わたしのクラスは隔週でクラスミーティングがあり、自分が今取り組んでいる作品についてプレゼンしたり次の展示についてみんなで話し合ったりする

自分がプレゼンする作品はもう出来上がっているもの(入試の時に出したポートフォリオから)だったのであまり緊張しなかったけど、いざ自分の番になると簡単な言葉さえ忘れてしまいシーンとなったり、明らかに変な文法で伝わっているのか不安になった けどみんなこういうこと?と聞いてくれたり様々な提案を真剣にしてくれたり嬉しかった これからもしっかり取り組んでいきたい

 

今までは作品を通して雰囲気を感じてもらえたらいいなと思って制作してたけど一方で誰かの理解したいという意志を放棄してしまうことにもなり得る

相手に考える余地を与えるのは重要だけど全て手放しにするよりかはどういった考えの上で作品が成り立っているのなどの説明(言葉や文章に限らず)が少しだけ必要な場合もあるなと思った

全て説明できるなら作品が存在する意味は無くなってしまうのかもしれないけど作品が作品を説明できるなら意味はあるしそれ以前に制作することによって救われることもあるからやっぱり必要

こういうことぐちゃぐちゃ考えるよりは手を動かさなきゃいけないんだろうけどわたしはすぐ考え込んでその気になって満足してしまう悪い癖がある それをほどほどにするのもここ数年の目標である

鉱石

 

鉱石を見るのが好きでたまに博物館へ行ったりするけど手元には本当にピンときたものだけ置くことにしている

今持っているのは2つ

ひとつはスモーキークォーツという少し灰色がかった水晶のペンダント、そしてもうひとつは詳しい名前が分からないけれど恋人がくれたもの

色合いがわたしらしいと思ったらしく誕生日にわざわざ送ってくれた 光に当てると緑や紫が綺麗で眺めていると癒される

その2つで満足していたわたしが最近気になっていたのは、宇宙から来たと言われているガラス質の石…これはパワーが強く扱いも難しいみたい

なぜ気になっていたかというと、以前占いでみてもらった際言われたわたしの境遇とその石の相性が良いということを知ったからだった(細かく書くのはちょっと恥ずかしいのでぼやかしているけど、分かる人は分かると思う)

そこで家から10分ほどの場所にある小さな鉱石屋さんへ足を運び石の名前を尋ねると、店員のおばあさんがガラスの棚から石が付いた指輪を出してくれた 希少なので偽物も多いということを知ってから用心深かったわたしだけれど、これは本物だと確信したのはその数日後

わざわざ棚から出してくれたけどその時手持ちのお金が足りなかったわたしは買うのを諦めてお店を後にして、でも何日か思い出す日々が続いていた

それから少し経った頃、自分のポーチからその指輪が買えるくらいのお金が出てきたのだった これには本当に驚いた

そのポーチは使用頻度が少なく、前に現金を(無駄遣いしないように)そこへ入れたまま忘れてたんだと思う

でもこのタイミングで見つかったということはあの石を手に入れるべきなのだ…という思考に駆られることとなった

 

その日は哲学の講義でなかなか頭がまわらなかったけど、友達と帰り道で別れひとりで鉱石屋さんへ向かった

おばあさんにあの指輪が欲しいんですけど…と言うと、あぁあれね、と以前見たものと同じ指輪を出してくれた 売り切れてないことに安堵した

「頭から離れなかったのね これは特別な石だからね」と言われたり、他のお客さんからも「見せて…あら すごい石ねぇ」と言われたりして、ドキドキで、そうですよね、としか返せず…

それから毎日身につけているけど、ネットで読んだみたいな不調は今のところ起こってない 指輪部分がかなり緩くていつのまにか消えてしまいそうで怖いので近々直しに行くつもり

 

 

 

 

乗っている電車が目的地に到着し、ドアが開くのとほぼ同時にわたしはホームへ飛び出す。急いでいた。停車中の電車すれすれを走りながらホーム端にある改札へと向かう。屋外の生温い湿気と電車のドアから漏れる冷気が交互に身体へぶつかってくるのが面白い。思考が"今年の夏"へと変わっていく。毎日続く酷暑もそろそろ終わって、秋が来たら自分はまたドイツの生活へ戻らなければいけない。ずっと渇望してたはずなのに少し悲しかった。

 

駅のホームに居る人達へぶつからないよう注意深く急いでいたら、蛾が死んでいるのを発見してしまって衝撃を受けた。大好きな蛾の死骸を見てしまったからでも、自分の手で安全地帯へ移動させることが出来なかったからでもない。その時持っていた"夏が終わること"に対しての感情が蛾の死骸として現れたので、視覚を通して再び自分に吸収されたからだと思う。